平成三十年三月三十日
埼玉県所沢市 所澤神明社の桜の撮影を行いました。
(写真一)染井吉野と新緑
(写真二)手水舎の桜
(写真三)寸光の桜
(写真四)石楠花
(写真五)桜吹雪
帰る直前になぜか一風。すかさず数枚撮影。少し待ってみましたがこの一回きりの風でした。
昨年までとは違う視点。こんな見方もあったな~なんて。
新鮮な気分で撮影。
帰りの風は、とても印象的でした。
感謝。
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撮影地:埼玉県所沢市 所澤神明社
撮影日:平成三十年三月三十日
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平成三十年三月二十八日、二十九日
埼玉県所沢市 坂東北野天神社の桜、染井吉野の撮影を行いました。
(写真一)参道から、今年も見事に開花した染井吉野
(写真二)神楽殿の前から撮影。扇状に広がった染井吉野は神社の建築物と相まって美しさが引き立ちます。
左上の葉を伴った桜は山桜系の「尊桜」です。
(写真三)神楽殿からの染井吉野。
※特別に許可を頂いて撮影しています。
(写真四)山桜に寸光。後ろは御本殿です。
(写真五)6×7判フィルム写真機で撮影中・・・
今年は染井吉野と山桜が同時の開花となりました。
美しい桜の開花が見ることができ、撮影させていただいたことに心より感謝致します。
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撮影地:埼玉県所沢市 坂東北野天神社
撮影日:平成三十年三月二十八日、二十九日
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平成三十年三月二十一日
埼玉県所沢市 坂東北野天神社の春季例大祭でした。
当日は大雪注意報(警報?)が出るほどの降雪。
(写真一)降雪のご社殿
(写真二)宮司さん、神職の方や総代役員の方々、献幣使の行列は傘をさしての参進。
(写真三)お囃子の方々、はっぴの下はかなり厚着をされていました。
(写真四)地元の方たちによる封じ
願い事が書かれた色紙を封じて梅の木に吊り下げています。
(写真五)手水舎横の梅は見ごろでした
お祭りの日にこの歌を思い出させるとは、さすが道真公。
つづく・・・
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撮影地:埼玉県所沢市 坂東北野天神社
撮影日:平成三十年三月二十一日
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北野天神社で北の夜空を撮影してきました。
以前から撮影してみたいと思っていましたが、今年の冬は寒気が強く、西高東低の気圧配置で晴れていても、小さな雲が流れ込んできて上空を通過していくことが多くなかなか都合よく適当な空具合にあたっていませんでした。
長時間露光ですから、僅かな雲でも撮影している範囲に出れば写りこんでしまい失敗となることが多いです。
この日は程よい寒気と僅かな風で雲一つ無いなかでの撮影となりました。
露出15秒 撮影枚数479枚合成 撮影時間143分間(2時間23分)
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次は空高く上がってきた北斗七星
露出15秒 撮影枚数246枚合成 撮影時間73分間(1時間13分)
撮影中。。。
現在のお社はほぼ南を向いているわけですが、ここに創建されたころ(1200年以上前)の北極星の認識と位置。お社の向きが定まった頃の北極星、またこの土地の先人の方たちがどのように南北を特定し意識してきたのか...。
1200年を思うのに一晩の撮影時間はあまりにも短く、あっというまなのでした。
感謝。
※夜間の長時間撮影のため、宮司様に事前に承諾許可を得たうえで撮影を行っています。
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撮影地:埼玉県所沢市 北野天神社
撮影日:平成三十年二月十四日
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平成三十年二月三日、埼玉県所沢市 北野天神社の節分祭に行ってきました。
夜の節分祭、夜の神社は昼とは違った雰囲気です。
境内には前日と先週に降った雪が残り、なかなかの冷え込みでしたが、多くの人が集まり撒かれる豆を受け取っていました。
節分祭のあとはお守りやお札、縁起物のお焚き上げが行われました。
※どんど焼き?左義長?あとで確認します。
火の勢いが強くあっという間に燃えまして。。。
今回は、この有り難い炎で、撮ろうと思っていたことがありまして、そちらへ集中的にレンズを向け撮影していました。
公開はできませんが。。。(^_-)-☆
楽しい節分祭でございました。
感謝。
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撮影地:埼玉県所沢市 北野天神社
撮影日:平成三十年二月三日
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平成三十年二月三日、埼玉県所沢市 所澤神明社の節分祭に行ってきました。
節分祭祭典、宮司さんによる豆撒き神事。
神社には鬼はいないので掛け声は「福はうちー!」のみ。
今年の節分は土曜日とあって、沢山の人で賑わっていました。
多くの参列者で賑わうお祭りの時は一般個人の顔の写り込みにとても気を使います。
節分祭では豆撒きの豆を受け取ろうと色々な店名やロゴが入った紙袋が乱舞しますが、こういうロゴマークもなるべく入らないように。
また、私の後ろから撮影される方に配慮し、首から下げる写真機のストラップはメーカー名の入っていない物を使用しています。
先日降った雪が所々残る境内ですが、穏やかな節分でございました。
鰯、おいしかったなぁ。
感謝。
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撮影地:埼玉県所沢市 所澤神明社
撮影日:平成三十年二月三日
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