令和七年二月十一日 所澤神明社の境内で撮影した蝋梅です。
樹高五尺ほどの木ですが、枝には沢山の花を付けていました。
樹が小さく少々目立たない場所に植えられていたのですが、甘い香りに「おや?」と思いつつ気が付きました。
水原秋桜子の句に
「蠟梅や 薄雪庭を 刷きのこす」
と、ありますが雪は降りそうもないなぁ…
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令和七年一月二十九日
随筆家、ライターの友人に会いました。
昨年の五月以来の再会。
友人の好みは久留米絣の木綿着物に木綿の袴という旧制高校生、書生風、大正ロマン風といった姿ですが、体格のこともあって着物も袴もご自身の寸法に誂えたもので、普段着としているそうです。
今回は全身写真は撮ってないので伝わりにくいですが、日常着にしている事がよく分かるほど馴染んでいて、一時的な着物感やコスプレ感は無く「日本人が全員着物で生活していた頃の人」といった雰囲気です。
お会いした場所は東京都東久留米市、東久留米駅に近い『イーストエンドホワイト珈琲』で、たまに行くお店で雰囲気が隠れ家的で好み。
小型電子記録写真機しか持っていかなかったのですが「後ろ姿の美学」的な写真を撮影しました。
↓下は私です。
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十年以上前、長野県長野市権堂の古書店で購入した文政四年(西暦1821年)発刊 荒木田久老・あらきだひさおゆ著の「信濃漫録」です。
数百円程度の価格で無造作に段ボール箱に入れられて売られていました。
荒木田久老と発行年を見て「こんな価格で良いの?」と思いながら衝動買いした記憶があります。
「享和元年九月信濃の国に下りけるに神無月善光寺にていたく煩ひける をりしも同学本居宣長の身うせけるよし聞て…」
本居宣長とは対立関係にあったようですが、確かに、本居宣長は享和元年(1801)九月に亡くなっています。
本は印や書き入れなどがあると価値が下がる(それで安かったのかも?)という話を聞いたことがありますが、私個人的には下総崎房秋葉氏蔵書の朱印も見どころで、秋葉氏は新田開発や江戸城普請の材木調達などで名を残している方らしく、そういった方がこの本を蔵書していたのかと思うと所有する楽しみが少し増えたような気がするのです。
茨城県の秋葉氏蔵書から時が流れ平成の時代(私が購入した頃)、冒頭の文章にある信濃の善光寺近くでの入手は不思議な縁を感じました。
享和元年(1801)に信濃を旅し善光寺へ参詣してから二十年後に発行された本ということになります。
荒木田久老は江戸時代中期から後期にかけての伊勢神宮祠官、国学者、万葉集の研究など。
文化元年(1804)五十七歳で亡くなっています。
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所澤神明社で年越し撮影を行い、午前四時頃に一旦帰宅して仮眠。
あ、いや、仮眠どころか疲れてしっかり寝てしまい少々遅くなりましたが再び境内へ。
南大門側の参道は毎年行列となっていて、長いときは旧市役所のあたりまでの行列になります。
鳥居から先は列が増えるため、意外と進みます。
年越し撮影後、未明に初詣参拝を済ませているので、境内の中をウロウロしながら撮影。
名物となっている四角錐状に竹で組まれたおおみくじ掛け。
今年もたくさん結んでありました。
神事の撮影ではないのでうろうろしながら気ままに撮影していると、見知りの方からお声をおかけ頂きご挨拶を交わしたり、少し話をしたり。
冬至を過ぎて日が長くなる時期に入っているとはいえ、まだまだ日が傾くのは早いです。
声をかけてくださった方、ありがとうございました。
佳い年となりますよう。
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所澤神明社の公式WEBや印刷物などで使用する写真を撮影しています。
撮影、投稿について所澤神明社の許可を得ています。
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令和七年元旦
所澤神明社 元旦祭
午前零時をまわり元旦、年明け直後です。
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拝殿前の参道ではすでに初詣の参拝客で列になっており、日本で一番早く始まる熊手市もあって賑やかです。
三時頃の様子です。
年明け直後は初詣の参拝客で行列ができていましたが、例年だと二時半を過ぎると行列がなくなり並ばずに参拝ができます。
私は、神事の撮影が終わり、静かになった頃に初詣参拝しています。
提灯の写真ですが、撮影は三時過ぎです。うしろの階段(少々暗いですが)には誰も並んでいる人がいません。
今年も見事な花手水でした。お正月のときと、例大祭のときは特別感があります。
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